Vol.1 情熱で夢膨らませ、はばたけ大空へ 宮本 泰弘さん

自分の手で空を飛びたい 

学生時代、吉田 敬さんのご両親に誘われて手話サークルへ。そこで出会った中村 稔さんをきっかけに、佐賀県聴覚障害者協会青年部に入部。その後、九州聴覚障害者団体連合会青年部役員監事を務めた。その経験は、バルーンクラブで活かせているという。

パイロットになりたいと思ったきっかけはなんでしょうか

 5歳の時に1989年佐賀熱気球世界選手権が佐賀市にて開催されたとき、一斉に上昇する気球の景観に衝撃を受けました。また、佐賀県立ろう学校のグラウンドでバルーンクラブによる熱気球の係留の体験をしたことがきっかけで、気球に興味を持つようになります。最初はバルーンカラー(気球の色)や参加国旗を見て楽しんでいました。小学高学年になったとき、バルーンに競技があることに惹かれていったことがきっかけです。


惹かれた競技とは何ですか?

 ヒモのついた重りを地上の的に投げる競技です。バルーンは地面から見ると、静かに浮かび上がり、ゆったりと風に乗って飛んでいるように見えますが、熱気球の協議は奥が深く、自然と戦う熱いスポーツです。刻一刻と変化していく風を読み、行きたい方向へ吹く風に熱気球をのせてゴールを目指すところに惚れました。

どうやって勉強されてたんですか?

 大会のプログラムや佐賀県で放映される中継をじっと見つめていました。また、高等部の土曜日学習に総合教育というのがあり、バルーンの授業があったので選択しました。授業内容は情報収集が主で先生と一緒にパソコンを使ってバルーンに関する情報を収集していました。手話サークルで出会った佐賀県聴覚障害者協会の中村理事長から、青年部に入らないかと誘われた時でもありました。

そのころから青年部に入られてたんですね。何か目的があったのですか?

 いえ、なーにも考えずに行動していました。ただ、サポートセンターと関わったことで、共通の趣味を持った友人を紹介してくれました。また、パイロットを目指したいと高等部の先生に相談してホームページに載っていたバルーンクラブ約20チームに「入会できますか?」というお手紙を出しました。でも、返信はゼロだったんです。この時「自分は聾者だから、パイロットにはなれないんだ」と夢をあきらめました。それからはただの趣味として、バルーンを眺めるだけになりました。

夢が再燃し始めたきっかけを教えてください。

 中村理事長から新規事業としてバルーンミュージアムに手話案内人を設置しようと提案を考えているが、候補として宮本くんどう?と声をかけていただきました。その時に、僕はパイロットの夢があることを話したら、中村理事長の目が輝いて、ぜひやってみろ!と背中を押してくれたんです。もうできないと思い込んでいたのですが、「え?挑戦していいの?」と挑戦心が湧きおこり始めました。

それで再チャレンジしようとされたんですね。 

チームに入ったときは機材のもち運びなどの力仕事をさせられ、また4回目までは手話通訳が一緒に動いてくれたので、作業における基本や注意しなければならないことなどを教えてくれました。5回目からは手話通訳は外され、自分で聞いて行動するというのが当たり前なようになりましたね。

コミュニケーションは大変ではないですか?

 練習と競技中はケガすることがあるため、手話通訳を見てしまうと、作業に集中できなくなってしまいます。バーナーで気球を膨らませるのに気を抜いちゃいけませんから。

今のバルーンチームに入ったきっかけは

 佐賀熱気球パイロット協会の人から、障害に理解のあるチームを紹介してくれました。最初に入ったチームが係留しかしないチームでした。そこで基本を積ませてもらいました。5年たった時、実践を行うバルーンチームに転籍しました。とても良いチームなのですが、説明や会話が分からなくて、情報を集めるのが苦しいですね。その時は暇そうな方を捕まえて、なに話してたの?と筆談で聞いてます。

パイロットになれるのはそう遠くない?

 そうですね。2~3年後にはパイロットを目指せると思います。ただ、パイロットは無線連絡が必須なので、聞こえない人にとって無線の問題をどう乗り越えるか悩んでいるところです。

一般社団法人佐賀県聴覚障害者協会
佐賀県聴覚障害者サポートセンター
佐賀熱気球パイロット協会

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