【報告】近畿ろうあ連盟青年部創立50周年記念旅行

2月1日(土)~2日(日)の2日間にて
「近畿ろうあ連盟青年部創立50周年記念旅行」が開催されました!

創立50周年のお祝いと準備お疲れさま!
ということで記念旅行企画を計画しました。

旅行企画をどこにするか…
温泉入りたい・美味しいご飯を食べたい・遊びたいなど、
色々な意見が出た中、多数決で和歌山の白浜温泉に決まりました♪


 
2月1日の夕方、白浜温泉の旅館に参加者集合した時に感じた一言。

「いつも企画で集まるときの顔と旅行の時の顔が
 めちゃくちゃ違う。とても楽しみ!が伝わる」と。

それほど、この記念旅行を楽しみにしていてくれたのか…
と思うと企画担当者もルンルン気分になりました( *´艸`)

ホテルにあった、温水プールで男子たちは遊ぶ!
女子は、それを見守ったり、リラクゼーションに行ったり…
自由な時間を過ごしていました。


 
そして晩御飯の時間!

近畿ろうあ連盟青年部の勝矢委員長の乾杯の音頭で、宴スタート!
美味しい料理にお酒を肴にお喋りに花が咲きました。

途中、企画担当者からの出し物で
「今だから言える、50周年パーティの裏話」があり、
近畿らしく、ボケツッコミありの漫才だらけの出し物でした。
夜遅くまで、ゲームやお喋りをして過ごしました。

2日は、白浜エネルギーランドに行きました。

トリックアートハウスやミステリーなど、
色々な体験ができる施設だそうです。
様々な体験をした後は足湯でリラックス。
その後は、寒いのに近くの海を眺めに行きました。
が、寒かったのか30分程で撤退…。


 
とれとれ市場で昼食を食べ、お土産を買った後、
それぞれ笑顔で家路につきました。

なかなかみんなで旅行企画をすることがないので、
今回はとてもいい機会だったと思います。

【報告】2019年度近畿ろうあ連盟青年部中間代議員会


 
2019年12月1日(日)10時から16時までの間に、
西宮市市民交流センター(兵庫県西宮市)にて
2019年度近畿ろうあ連盟青年部中間代議員会を行いました。

近畿6府県代議員22名集い、
(一財)全日本ろうあ連盟青年部、
近畿ろうあ連盟青年部に対する議案、提案、質問中心に進行しました。


 
意見が飛び交うように議論し、
それぞれの議案を無事に承認することができました。

【報告】第53回全国ろうあ青年研究討論会 2日目

全国ろうあ青年研究討論会のメインといえば、
やはり「分科会」です。

大会名を見ての通り〝討論の場〟が用意されています。
今回の分科会は、次の5つに分かれています。

◆ 福祉制度
◆ 人権
◆ 地域
◆ 労働
◆ 教育

※年度によっては、
分科会の数やテーマが変わる場合もあります。

あとで各分科会の参加者に感想を聞いたところ、
どの分科会も白熱した議論が展開されたようです。

参加する目的が多少違えど―
全国からろう青年および聞こえる同年代が集まりますので、
府県規模の行事とは〝活動熱〟がまた違いますね。

5つの分科会とは別に、講座「入門」も設けられています。

◆ 青年部とは?
◆ どんな組織なの?
◆ ろうあ運動とは?

等々、テーマや講師は年度ごとに変わりますが、
基本的なことを学べるようになっていますので、
初めて参加される方には、オススメです。

前置きが長くなってしまいましたが、
ココでは、自分が参加した「教育」に絞って
内容や感想を書き綴りたいと思います。

今回は、一般財団法人全日本ろうあ連盟の
教育・文化委員会 委員長の石橋 大吾氏を講師に迎え、
「ろう教育」についてお話いただきました。


 
生い立ちの話では講師と育った環境は多少異なりますが、
「そんなこともあったな」「進路には結構なやんだな」と
幼いときの自分と重ね合わせながら聴いてしまいました。

◆ 口話教育
◆ コミュニケーションエラー
◆ 手話言語との出会い

要は、似たような境遇であった上、
共感する部分が多かったということでしょうか。

改めて、小中学校にあった難聴学級の存在、
そして、そこに通えるように引っ越し等、
いろいろ動いてくれた両親へのありがたみを感じましたね。

その他、人工内耳に関するお話も出てきました。


◆ 新生児スクリーニング検査のおかげで
昔と比べると、聴覚障害の早期発見ができるようになった。
⇒ そのあとの初期教育が鍵である。

◆ 人工内耳装用=聞こえる人と同じになれるのではない。
⇒ 聞こえない子どものコミュニケーション方法の一つとして
手話言語の情報が必ず提供されること。

◆ 「音声日本語」か「手話言語」の二者択一ではなく、
その子どもの聞こえの程度や、子どもや親の意思に応じて、
どちらとも与え、子どもが成長してから
どのようなコミュニケーション方法を望むかを本人に選択させるべき。

◆ 私たちの目指す『共生社会』とは?

◆ 大阪府 乳幼児期手話獲得支援事業「こめっこ」の例

◆ 日本耳鼻咽喉科学会や言語聴覚士協会
そして、厚生労働所・文部科学省との意見交換を通して
聴覚障害児の教育のあり方について要望を出す。
⇒ 関係団体への理解を促し、巻き込んでいくことも大切。
各府県でも教育委員会とやりとりする機会があれば、
当事者から働きかけてほしいとお願いがあった。



 
講演の次に、ワークショップがあったのですが、
これを読んでいる皆さんも
ぜひ一緒に考えてみてください。

『学校に新しい科目を取り入れるとしたら?』

なかなか面白い発想です。
むしろ内容によっては、実現していただきたいです。

「自分たちが義務教育を受ける立場だったら、
こんな授業を受けたかった!」

「聞こえる子どもとの相互理解に
つながるような授業があったらいいな!」

そう思いながら、参加者が提案した科目には、
「手話言語」「ろう者学」「職業論」「国際手話」等々。

子どものときにロールモデルとなる、
先輩と触れ合う機会がたくさんあったら、
また違った人生を送っていたんじゃないか?
と思うこともしばしばあります。

このような機会も教育の一環だと思います。
机上の学習が全てではありません。

地元に持ち帰り、ロールモデルの一人として
ろう子どもと交流する場を積極的に設けていくことが
私たち青年の役目なんだなと再確認できた分科会でした。


 
全青研に関わった皆さん、お疲れさまでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

【報告】第53回全国ろうあ青年研究討論会 1日目


 
2019年11月2日(土)~4日(月・祝)に
長野県松本市で第53回全国ろうあ青年研究討論会が開催されました。
その中で印象に残ったことをピックアップして載せます!


≪記念講演①≫
テーマ 『小岩井 是非雄氏の生涯』
講 師  内田 博幸氏

講師内田氏より小岩井是非雄氏の生涯について
詳しくお話いただきました。


 
1894年にこの世に産声をあげ、
1981年に命の幕を閉じるまでの87年間、
ろう教育振興に尽力され、また多くの足跡を残された 小岩井是非雄 氏。

講演で特に印象的だったのが、次の2点です。


◆ 故郷松本にろう学校をつくりたい

当時の長野県のろう教育は極めて不振であったとのことです。
小岩井氏自身も、実家のある松本市を遠く離れて
東京で学ばなければならない環境を体験していたため、
松本市にろう学校を置きたいという気持ちはより強かったそうです。

いくつかの山を越えて、ようやく1932年9月に
松本聾唖学院発足まで漕ぎ着くことができ、自ら経営者となり
1950年まで聾史上3人目の聾唖校長として勤められた、とのことです。

◆ 小岩井氏の銅像の秘密・・・!

小岩井氏の銅像は2体あるとのことで、
実際に見たことのある方や今回の全青研に参加された方は
レプリカが展示されていたのでご存知と思いますが、
小岩井氏の銅像には両腕があり、
右腕は「元気」「頑張れ」という手話を表し、
左腕は手に本を持っています。

その理由がとても興味深いものでした。

小岩井氏は「元気!」「頑張れ!」が口癖(手話癖?)だったそうで、
その言葉でいつも生徒や周囲の人を勇気づけていたことから
右腕にはその特徴を残し、
左腕は教師をイメージしやすくするため、とのことです。

銅像制作には膨大な費用がかかりましたが、
小岩井氏の特徴を捉えた形にしたいと、
松本ろう学校同窓会を筆頭にカンパを集めて
両腕のある銅像を制作されたとのことです。

それぞれの小岩井氏に対する想いがたくさん込められ、
彫刻家の洞澤今朝夫氏の手によって制作された銅像は、
松本ろう学校同窓会創立60周年記念事業として
「初代校長小岩井是非雄先生」銅像建立の除幕式を経て、
松本ろう学校の正門に置かれているそうです。


<感想>
故郷を離れて学んだことや得たことを
故郷に大いに活かしているところに、深く感銘を覚えました。

私も地元を離れて活動をしていますが、
今でも大きな支えとなっている地元にどのような形で
お返しができるか改めて考え、行動に移していきたいと思いました。

また、近青役員としては、昨年10月に開催した
近青創立50周年記念パーティのことが思い起こされ、
改めてこれまでの近青の歴史をもっと知って
先人の意志を引き継がねばならないと感じたと同時に、
未来に向けて何か残してゆきたいと強く思わされました。


≪記念講演②≫
テーマ 『私の歩んできた道』
講 師  北野 雅子氏

石川県でさまざまな活動をされている北野雅子氏による講演でした。
華奢な手の動きでこれまでの人生についてお話いただきました。


 
北野氏は現在、北信越ろうあ連盟相談役、
(社福)石川県聴覚障害者協会顧問、
そして石川県手話通訳制度化推進委員会の委員長を務められており、
これまでも数多くの功績を残されてきた方です。

・金沢手話サークル「あての会」創設
・石川県手話通訳派遣センター設立
・財団法人石川県聴覚言語障害者福祉協会事務所設立
・石川県聴覚障害者センター創設

 
上記4つの立ち上げのトップに立ったのは、北野氏。

北野氏は、3歳のときの高熱で両耳が聞こえなくなりました。
若くして3児の母になり、当時は活動とは全く縁のない
主婦生活をされていたとのことです。

昭和46年の夏―
病院での辛いできごとがきっかけで活動を始められました。

病院での辛いできごととは、
子供を病院に連れて行ったときに医師に言われた
「筆談では時間がかかる。
クスリの効果や、副作用、治療方法について細かな相談ができない。
失礼だが、ご母堂様をお連れください」
という言葉に大きくショックを受けたこと。

当時はまだ手話通訳がひとりも居なかったときで、
北野氏は自分とのコミュニケーションに困っている
医師の様子を見ているのが辛く、筆談の限界を感じ、
このままではいけないと立ち上がり、ろうあ運動に参画されました。

昭和46年の秋に、金沢大学の学生に呼びかけ、
ご自宅で北野氏自身が手話を教える学習会を実施。
その働きかけが金沢手話サークル「あての会」結成につながり、
仲間もたくさん増えたとのことです。

さらに教え子には、自治体窓口で手話通訳をする場を設け、
役所や社会に”手話通訳者”という存在を
広く知ってもらえるよう働きかけをされました。

奉仕活動ですが、自治体窓口に手話通訳がついたのは
石川県内で金沢市が初だそうです。

そして、北野氏は”子供が小さいから何もできない”
という言い訳はしたくなかったそうで、
子供連れで社会参加できる環境は必要であると考え、
手話サークルの仲間と子育て会を結成。

毎月、各家庭持ち回りで開かれた子育て会は、
視野が広がり、子供同士も仲良くなり、
とても楽しい時間だったとお話されていました。

以降、北野氏は手話通訳の確かな未来を求め、
”いしかわ障害者プラン”という新たな運動や
手話通訳者の自治体業務を広げる取り組みなど、
現在も多くのことに取り組まれています。

石川県は現在、20自治体のうち16自治体に
手話通訳者が設置されているというところまで進んでおり、
今後も取り組みを続け、石川県内すべての自治体に
手話通訳士(者)の設置を目指していくとのことです。

「ろう運動のおかげで色々勉強させてもらったし、知識も広がった。
これを全国にも広めていきたい」とお話されていました。


<感想>
特に印象に残ったのは、
「子供が小さいから何もできない」
という言い訳はしたくなかったというお話です。

青年部員は比較的、結婚・出産を経験することが多い年齢層であり
家庭を持つ青年部員からは、「家庭(子育て)と活動の両立が大変。
難しい。」という声をよく聞きます。

これは青年部離れの要因のひとつとしてよく挙げられていますが、
各会議・各行事子連れで参加しやすい環境を用意することも、
私たち役員の為すべきことだと改めて考えさせられました。

【報告】近畿ろうあ連盟青年部創立50周年記念パーティ

こんにちは!

2019年10月5日、メルパルク京都にて近畿ろうあ連盟青年部創立50周年記念パーティを開催し、90名の参加者が集い、盛会のうちに終えることができました。
改めまして ご参加いただいた皆さま、ご寄付いただいた皆さま、その他さまざまな面でご協力いただいた皆さま、誠にありがとうございました。

ほんの一部ではありますが・・・
パーティの様子を写真にてお楽しみください∩^ω^∩★☆

当パーティは、メルパルク京都5階にある「京極」という会場で開催しました。
会場前には受付と、過去に行われた行事の写真展示スペースを設けました。
開宴前ギリギリまで、複数の参加者が写真を見ながら「懐かしい~」と口を揃え、それぞれこれまでの活動を思い起こされている様子が伺えました。

一方、会場内では・・
近畿ろうあ連盟青年部役員、ホテルスタッフの方々がバタバタ準備中。
スクリーンの映りやパーティの流れの最終確認を行いました。

18時30分~ ハイクオリティなオープニングムービーとともに、開宴!!

鏡開き。
歴代委員長・現委員長がハッピを羽織り、木槌を持って掛け声と同時に樽を開いていただきました。
心をひとつに開いた瞬間は、会場も大盛り上がり!

そして初代委員長 大矢氏よりお祝いのメッセージをいただき、乾杯が執り行なわれました。
50年間の歴史に感謝の意を表し、未来に向けてそれぞれ想いを込めて・・・

歓談。
参加者それぞれ、各テーブルで美味しいお料理を口に運びながら、和気藹々と楽しくお話されていました。
一品一品のお料理名を書いた紙を、各テーブルに置いてご案内いただいたホテルのスタッフ方々の配慮も、とても嬉しかったです。

歴代委員長紹介。
初代〜第19代まで、おひとりずつ紹介しました。

続いて、私たち19期近畿ろうあ連盟青年部役員の紹介。

歴代委員長による思い出トークショー。
過去のあんなことやこんなこと・・50年間の歴史に思いを馳せて。
なかなかお伺いすることができない裏話もお話いただき、私たち現青年部役員も知らない数々の軌跡にふれる素敵な時間が持たれました。
ご登壇いただいた皆さま、ありがとうございました。

集合写真撮影。

近畿ろうあ連盟委員長 中岡氏による締めの挨拶で終宴

祝!
近畿ろうあ連盟青年部創立50周年。

近畿ろうあ連盟青年部は、これで終わりではありません。
今後も、兵庫・大阪・京都・滋賀・和歌山・奈良の6府県が一枚岩になって、更なる活動を続けていきます。

そして
60周年、70周年、80周年、90周年・・・、

100周年を目指して!!!
次世代へつなげられる道を切り拓いていきたいと思います。

今後とも、近畿ろうあ連盟青年部をどうぞよろしくお願いいたします!!

【報告】(一財)全日本ろうあ連盟青年部発足50周年記念大会


 
愛知県名古屋市の鶴舞駅から歩いて
すぐのところにある名古屋市公会堂に
全国各地から現青年部員やOB、OG等も
含めて400人近い参加者が集まり、
全日本ろうあ連盟青年部発足50周年記念大会が開催されました。


 
現青年部中央委員長の田航氏、
全日本ろうあ連盟理事長の石野富志三郎氏の
記念大会の挨拶がおこなわれ、

記念講演では
第2代の曽輪信明氏
第4代の田正雄氏
第13代の嶋本恭規氏
第15代の田航氏
4人の青年部中央委員長経験者によるパネルディスカッションで、
それぞれの生い立ちや中央委員長になったきっかけ等の話が聞けました。


 
会場には過去の中央委員長経験者(臨時、初代~第15代)のほとんどが大会に出席されていたので、
高田英一氏(臨時)や石野富志三郎氏(第3代)等
の中央委員長時代の話や過去の思い出話も聞け、
会場はおおいに盛り上がりました。

その後のフォークダンスや交流会等も含め、
まるで大家族の集まりのような
青年部50周年の記念大会だったような気がします。

青年部が発足して50年
「50年前はできなかったことが、今はできるようになってきている。」
と開会の挨拶でもありましたが、
青年部活動の三本柱でもある
「仲間づくり・学習づくり・要求づくり」を
これからも続けていく、全日本ろうあ連盟青年部の未来が楽しみです。

【報告】第38回全国ろうあ青年部活動者会議


 
山の日でもある8月11日(土)に
愛知県にある名古屋公会堂において
第38回全国ろうあ青年活動者会議が行われました。

例年は1泊2日または2泊3日で実施されますが、
今年は翌日に
全日本ろうあ連盟青年部発足50周年記念大会が
あるということで1日だけの実施になりました。

そのため、毎年恒例のミニテストは無く、
残念がっていた参加者もいました。

今回は社会福祉法人石川県聴覚障害者協会の
理事である藤平 淳一氏による講演がありました。

「リーダーシップとマネジメント~組織を作り上げるには~」
というテーマで講演頂きました。


 
印象的だったのが、物のとらえ方によって
リーダー像も変わるということです。

その例が「桃太郎」です。
桃太郎はスゴイという見方をされているそうです。

どうしてかというと、
桃太郎が出会う犬、キジ、サルに対し
役割を分担して鬼退治をするという
意味合いを持たれているということでした。

たとえば、キジは空から偵察することから情報収集担当、
サルは戦術を編み出し攻撃の糸口を見つけることができる、
犬はするどい歯と俊敏な足を武器に攻撃の実践担当として
うまく役割分担し、鬼退治に役立ったといわれています。

しかし、海外から見れば、
キジは偵察しながら攻撃参加はできたはず、
サルは木に登り周囲の状況把握ができたのではないか、
犬は嗅覚を生かした情報収集ができたのではないか?
という見方になっています。

これにより、日本での評価は
日本的な組織集団となっているのではないか
というお話がありました。

リーダーとして必要なのは、
戦略を策定することで方向を明示するという方向付ける力、
そして限られた対象に働きかけるだけではなく
四方八方に働きかけるように、力を引き出すことが大切。
つまり、一人一人がリーダーとして
率先的に活動することによって
組織としてどう変わっていくのかを考えていくことが
大事だとおっしゃっていました。

理想のリーダーとは、
①関わるすべての人から信頼されていること、
②自信や知的能力を持っていること、
③達成意欲・支配・率先力・判断力・活動力といった、
仲間をその気にさせる力を発揮できることとありました。

そして最後には
「やって見せ、説いて聞かせて、
やらせてみ、認めてやらねば、人は動かぬ」
という山本五十六の座右の銘を紹介して頂き、
講演を終えられました。

この講演を聞いて、果たして自分はどうなのか?
ちゃんと周りからの信頼をもらえたり、
コミュニケーションを十分にとることが
できているのか否かを考える良い機会になりました。

リーダー論をみんなで学習したあとは
お待ちかねの交流会。


 
これも例年になく、
オードブルを会場にケータリングして、
それをブッフェ形式にしたものでした。

交流会中に中央委員より、どらえもんの替え歌として、
「手話えもん」の披露がありました。

まずは中央委員の皆さんが振り付けのお手本を見せてくださり、
そのあとは参加者全員で一緒に踊るという、
とても斬新な雰囲気でした。
そんななか、参加者同士、いろんな話に
花を咲かせながら親睦を深めあいました。


 

【報告】第9回西日本エリア幹部研修会 2日目

【2日目】2月24日(日)

■West Japan Talk
西日本の4ブロック長によるパネルディスカッションです。

・西日本4ブロックの青年部は
いったいどういう構成でどんな活動をしているのか?
・この機械にHOTな情報を手に入れて、地元活動の参考にしてみよう!

【西日本4ブロック長の紹介】
近畿ブロック長:勝矢 千晶(大阪)
中国ブロック長:徳岡 英一(鳥取)
四国ブロック長:野町 穂高(高知)
九州ブロック長:鈴木 玲雄(福岡)

【エピソード】
□グッズについて
□会議日程や会議場所について
□親協会とのつながりについて
□N-Actionについて
□なぜ委員長になったか?委員長になったときの気持ちは?
□振り返り(この一年間で成功したことや失敗したこと等)
□最後に・・・ブロック長からみんなに伝えたいこと 等

それぞれ青年部の活動など話を中心に、
各ブロック長の話をお聞きしながら、限られた時間の中で、
質疑応答も含めて熱く聞かせていただきました。
1時間ぐらいでしたが、終わってみればあっという間でした・・・。

もっと話したい!もっと意見交換したい!
と思ったパネルディスカッションでした。
今年度の西幹の場所は、神戸市であり、
遠くは鹿児島?長崎?からお越しの青年部の仲間の方もいらっしゃり、
それだけの活動に応えることができたがどうか不安は拭えませんが、
今日の機会を大切に今後につなげていければ…と思います。

パネルディスカッションは、通常のセッションの登壇と違い
パネルディスカッションは複数名で行うものであり、
話の中でいろいろな展開があり得るので、
良いディスカッションにするためにも事前準備が必要かと思います。
その上で本番に臨むことで参加する参加者に
『このパネルディスカッションに参加してよかった』と思ったり、
何か一つでも持って帰ってもらえる結果に繋げられるのでは。
と思ったパネルディスカッションでした。

第33回全国ろうあ青年部活動者会議in広島~3日目~

毎日ごっつ暑い日々が続きますね・・・私バテ気味です(笑)
台風もすごい影響がありましたね…みなさん、大丈夫でしたか?

さて、第33回全国ろうあ青年部活動者会議の様子を1日目と2日目はアップしたのに、3日目あらへん?!と思いの皆さま…<(_ _)>おまたせし、申し訳ございませんでしたっ!!

 

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