【報告】第67回全国ろうあ者大会 青年のつどい

2019年6月15日、宮城県仙台市にて
第67回全国ろうあ者大会・青年のつどいが開催されました。

青年部の3本柱は、皆さん既にご存知の通りですね。

全日本ろうあ連盟には、「4本柱」の運動があります。

その1つである「自動車運転免許獲得」は、
当時のろう者の就労だけでなく
社会参加や活動の幅を広げる大きな運動となりました。
今回の青年のつどいは、その背景を追って学ぶ機会となりました。

講師は全日本ろうあ連盟参与の松本 晶行氏。

テーマは「東北でおこった運転免許裁判の裏側」ですが、
松本氏はまず最初に「”裏側”なんてないと思う。
今日は全て事実を語ります!」と仰り、
会場は笑いの渦に包まれました。

かつて聴覚障害者たちが運転免許証を取得するためにと運動し、
道路交通法改正への裁判が開始されたのは昭和42年のことでした。

当時、裁判に向かうために東北と近畿を往復していた松本氏にとって
特に大変だったことは交通費の捻出だそうです。

「いつも寝台夜行列車で移動し、寝台ではなく三等席に座っていた。
 寝台は朝5時ごろにならないと空席が出ない。
 ほとんど横になることもできず、
 身体が疲れたまま翌朝出勤していた。
 到着後は「横向き温泉」へ行って汗を流した後に
 裁判へ行くのが定例のことだった。」
と、当時の苦労を振り返りながらお話されていました。

当時、裁判時には資格者(手話通訳者)ではなく、
ろう学校の先生たちが手話通訳をしていたそうです。
(通訳がない時には筆談)

裁判がスタートしてから3回目になってようやく、
全日本ろうあ連盟からの支援金やカンパが出るようになりましたが、
それらはほとんど交通費や通訳費費用に消えたそうです。

また弁護士料が15,000円だったというお話も聞き、
(現在の金額に置き換えると、15万円前後!)
当時の活動は身体的にも経済的にも
大変であったということが伝わってきました。

昭和42年12月28日、この日は裁判申し立ての日だったそうです。
(その日は公務員の仕事納め日だったことが
 強く記憶に残っているそうです。)
裁判は昭和42年にスタートし、承認申請が行なわれました。
その日は8人の承認が降りたそうです。

1回目の裁判が終わり、仙台高等裁判所に控訴したのは昭和44年11月。
その判決が出たのは昭和47年。3年もかかったそうです。
まだインターネットがなかった当時は、
活動内容を周知させる手段としては「新聞」でした。
小さな新聞記事に、裁判について
何度も掲載されることで全国に広まったそうです。
【積み重ねが大切!!】という言葉が印象的でした。

講演の次はパネルディスカッション
「ろうあ運動からみえてきたこと、得たこと」。
松本氏に加えて、
東北ろうあ連盟青年部初代部長の山内 公平氏、
秋田県聴力障害者協会事務局長の加藤 薫氏、
CODAであり当時の手話通訳を担った半澤 啓子氏
がそれぞれの活動について、
過去を意味づけて熱く語っておられました。

今、私たちが当然のように車を運転し移動できていることは、
過去の先輩方の運動があってこその成果で
あったのだと改めて再実感しました。

今後、聴覚障害者の仲間たちと遠出をするたびに、
今回の講演を思い出すことでしょう。

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