【報告】第53回全国ろうあ青年研究討論会 1日目


 
2019年11月2日(土)~4日(月・祝)に
長野県松本市で第53回全国ろうあ青年研究討論会が開催されました。
その中で印象に残ったことをピックアップして載せます!


≪記念講演①≫
テーマ 『小岩井 是非雄氏の生涯』
講 師  内田 博幸氏

講師内田氏より小岩井是非雄氏の生涯について
詳しくお話いただきました。


 
1894年にこの世に産声をあげ、
1981年に命の幕を閉じるまでの87年間、
ろう教育振興に尽力され、また多くの足跡を残された 小岩井是非雄 氏。

講演で特に印象的だったのが、次の2点です。


◆ 故郷松本にろう学校をつくりたい

当時の長野県のろう教育は極めて不振であったとのことです。
小岩井氏自身も、実家のある松本市を遠く離れて
東京で学ばなければならない環境を体験していたため、
松本市にろう学校を置きたいという気持ちはより強かったそうです。

いくつかの山を越えて、ようやく1932年9月に
松本聾唖学院発足まで漕ぎ着くことができ、自ら経営者となり
1950年まで聾史上3人目の聾唖校長として勤められた、とのことです。

◆ 小岩井氏の銅像の秘密・・・!

小岩井氏の銅像は2体あるとのことで、
実際に見たことのある方や今回の全青研に参加された方は
レプリカが展示されていたのでご存知と思いますが、
小岩井氏の銅像には両腕があり、
右腕は「元気」「頑張れ」という手話を表し、
左腕は手に本を持っています。

その理由がとても興味深いものでした。

小岩井氏は「元気!」「頑張れ!」が口癖(手話癖?)だったそうで、
その言葉でいつも生徒や周囲の人を勇気づけていたことから
右腕にはその特徴を残し、
左腕は教師をイメージしやすくするため、とのことです。

銅像制作には膨大な費用がかかりましたが、
小岩井氏の特徴を捉えた形にしたいと、
松本ろう学校同窓会を筆頭にカンパを集めて
両腕のある銅像を制作されたとのことです。

それぞれの小岩井氏に対する想いがたくさん込められ、
彫刻家の洞澤今朝夫氏の手によって制作された銅像は、
松本ろう学校同窓会創立60周年記念事業として
「初代校長小岩井是非雄先生」銅像建立の除幕式を経て、
松本ろう学校の正門に置かれているそうです。


<感想>
故郷を離れて学んだことや得たことを
故郷に大いに活かしているところに、深く感銘を覚えました。

私も地元を離れて活動をしていますが、
今でも大きな支えとなっている地元にどのような形で
お返しができるか改めて考え、行動に移していきたいと思いました。

また、近青役員としては、昨年10月に開催した
近青創立50周年記念パーティのことが思い起こされ、
改めてこれまでの近青の歴史をもっと知って
先人の意志を引き継がねばならないと感じたと同時に、
未来に向けて何か残してゆきたいと強く思わされました。


≪記念講演②≫
テーマ 『私の歩んできた道』
講 師  北野 雅子氏

石川県でさまざまな活動をされている北野雅子氏による講演でした。
華奢な手の動きでこれまでの人生についてお話いただきました。


 
北野氏は現在、北信越ろうあ連盟相談役、
(社福)石川県聴覚障害者協会顧問、
そして石川県手話通訳制度化推進委員会の委員長を務められており、
これまでも数多くの功績を残されてきた方です。

・金沢手話サークル「あての会」創設
・石川県手話通訳派遣センター設立
・財団法人石川県聴覚言語障害者福祉協会事務所設立
・石川県聴覚障害者センター創設

 
上記4つの立ち上げのトップに立ったのは、北野氏。

北野氏は、3歳のときの高熱で両耳が聞こえなくなりました。
若くして3児の母になり、当時は活動とは全く縁のない
主婦生活をされていたとのことです。

昭和46年の夏―
病院での辛いできごとがきっかけで活動を始められました。

病院での辛いできごととは、
子供を病院に連れて行ったときに医師に言われた
「筆談では時間がかかる。
クスリの効果や、副作用、治療方法について細かな相談ができない。
失礼だが、ご母堂様をお連れください」
という言葉に大きくショックを受けたこと。

当時はまだ手話通訳がひとりも居なかったときで、
北野氏は自分とのコミュニケーションに困っている
医師の様子を見ているのが辛く、筆談の限界を感じ、
このままではいけないと立ち上がり、ろうあ運動に参画されました。

昭和46年の秋に、金沢大学の学生に呼びかけ、
ご自宅で北野氏自身が手話を教える学習会を実施。
その働きかけが金沢手話サークル「あての会」結成につながり、
仲間もたくさん増えたとのことです。

さらに教え子には、自治体窓口で手話通訳をする場を設け、
役所や社会に”手話通訳者”という存在を
広く知ってもらえるよう働きかけをされました。

奉仕活動ですが、自治体窓口に手話通訳がついたのは
石川県内で金沢市が初だそうです。

そして、北野氏は”子供が小さいから何もできない”
という言い訳はしたくなかったそうで、
子供連れで社会参加できる環境は必要であると考え、
手話サークルの仲間と子育て会を結成。

毎月、各家庭持ち回りで開かれた子育て会は、
視野が広がり、子供同士も仲良くなり、
とても楽しい時間だったとお話されていました。

以降、北野氏は手話通訳の確かな未来を求め、
”いしかわ障害者プラン”という新たな運動や
手話通訳者の自治体業務を広げる取り組みなど、
現在も多くのことに取り組まれています。

石川県は現在、20自治体のうち16自治体に
手話通訳者が設置されているというところまで進んでおり、
今後も取り組みを続け、石川県内すべての自治体に
手話通訳士(者)の設置を目指していくとのことです。

「ろう運動のおかげで色々勉強させてもらったし、知識も広がった。
これを全国にも広めていきたい」とお話されていました。


<感想>
特に印象に残ったのは、
「子供が小さいから何もできない」
という言い訳はしたくなかったというお話です。

青年部員は比較的、結婚・出産を経験することが多い年齢層であり
家庭を持つ青年部員からは、「家庭(子育て)と活動の両立が大変。
難しい。」という声をよく聞きます。

これは青年部離れの要因のひとつとしてよく挙げられていますが、
各会議・各行事子連れで参加しやすい環境を用意することも、
私たち役員の為すべきことだと改めて考えさせられました。

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